<利他心>

先日夜明け前のコンビニにパンと牛乳を買い行きました。レジの店員さんが「朝早くからご苦労様です!」と一言私に声を掛けてくれました。その気遣いある言葉を聞いて私はおもわず少し大きな声で「どうもありがとうございます!」と返しました。買い物で支払いのとき私はよく「ありがとう」と言います。しかし、この時は「本当にありがとう」(本当に とは言ってませんが)と気持ちを伝えました。

店員さんは深夜から早朝のシフトで一人お店を切り盛りしていたのでしょう。時給は千円くらいでしょうか。

店員さんの仕事は、商品をレジで通してお客さんに渡すこと。必ずしもお客を気遣い、声を掛けることは求められていません。また、コンビニに立ち寄るお客の目的も必要な商品を手早く買うこと。必ずしも店員さんから声を掛けてもらうことは期待していません。

その日はとても寒い日でしたが店員さんの元気な声と美しい晴天も手伝って、私はとても清々しい気持ちで職場に向かうことが出来ました。

私たちは日本で生活する上で最低限守らねばいけないルール(=国の法律)があります。ルールを守らなければ罪に問われ罰せられます。コンビニでは最低限やらなければならない仕事があります。やらなければ給料はもらえません。

では、罰せられないために最低限のルールだけを守る。給料をもらうために最低限の仕事だけをする。これでよいのでしょうか?

罰せられたくない。給料をもらいたい。これらの欲求は、自分自身の身を守ろうとするいわば利己的な「生存本能」から来るものなのでしょう。生きる上で必要な欲求ですがこれだけでは何か虚しさを感じてしまいます。自分の命は守れても、心を満足させることが出来ないからかもしれません。

早朝のコンビニで店員さんは自分の給料を稼ぐために働いていました。そこへ私が自分の食欲を満たすためにパンと牛乳を買いに行きました。その無機質な空間が、店員さんの相手を気遣ういわば利他的な「善い行動」のお陰で、私は心が満たされ幸せな気持ちになり、その気持ちを返すことができました。

他者を気遣うことの大切さを、教えられた早朝の出来事でした。