<ワイン>

 

先日の経営勉強会での話です。テキストに「自己犠牲の精神」という言葉が出てきました。できれば避けたくなるような厳しい言葉でしたが、皆で理解を深めることになりました。

テキストを要約すると、

今よりも素晴らしい未来を切り開くためには、明治維新のように、大きな改革を伴なう場合がある。強烈な意志をもって自分の命もかえりみず身体を張って取り組む自己犠牲の精神がなければ人は動かず、未来を切り開くことはできない。

参加者の感想には「自分は果して自らの命をかえりみず大きな事ができるかどうか自信が無い。」といったものが多く「そもそも、大切な命を粗末にすべきではない。」といった意見もありました。

“自己犠牲の精神”とは一体どのような考え方をいうのでしょうか?

私はある寓話を思い出しました。設定は昔の貧しいフランスの田舎です。その村は美味しいワインの産地で有名でした。あるとき、村の長老の誕生パーティーを開くことになりました。皆このお爺さんのことが大好きなので、各家から売り物用のワインを出来るだけたくさん持ち寄って大きなワイン樽をプレゼントすることになりました。皆の優しい気持ちにお爺さんは感激し、パーティー当

日、集まった村人たちに、プレゼントされたワイン樽をふるまう事にしました。ところが、樽から注がれたワインは水に変わってしまっていました。お爺さんはとても悲しくなりました。そして村人たちはとても恥ずかしい思いで一杯になりました。

貧しいこの村でワインは自分たちの生活を支える貴重な現金収入源。一滴でも無駄にしたくありません。しかし、大好きなお爺さんには美味しいワインを贈りたい。

人の喜ぶことはしてあげたいが、率先して自分の大切なワインを失うことは避けたい。こうした心の葛藤をしながら日々生きている私たちですが、他者の喜ぶ顔を思い浮かべて、水(偽善)ではなくワイン(誠意に満ちた自分の時間や手間)を、たとえ少しだけでも、他者に注いであげる優しい心を持つことは素晴らしいことだと思います。これも立派な“自己犠牲の精神”であると思います。